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電車で移動という事であればそれはもうもっぱら読書でゴザイマス。今なら座れたときはノートパソコン開いてカタカタしている始末。我ながらゆとりがないもんだと嘆かわしい限りですが、車窓から景色を眺めるナンテ事はほとんど無いのが現状です。そんな私が「そこ」を通るときばかりは無意識に顔を上げてぼんやりしてしまうのですからこれは可笑しい。
川が好きです。海よりも山よりも湖よりも、さて一仕事やり終えたらまず思うのは、川に行きたいタダヒトツ。私が一人でバタバタもがいた日にも、サボった昼も自棄になった夜も頑張ったと言えた朝にもこの川は変わらぬ顔で流れていたのだと確認するのが好きなのです(笑)。
つい最近は「東京モーターショー」に出演していたのと、ドラマ撮影でTBSのスタジオに通っていたのとで毎日幕張又は鶴川へ電車で移動。つまりは毎日荒川、江戸川または多摩川を超える事になっていました。そしてその移動中電車が橋へ差し掛かる時、どんなに集中していても、これホントですけど眠っていてもふっと顔が上がってしまい、ただぼんやりと眺めてしまう、それが私の「川」なのです。
15歳の時四万十川をカヌーで下りました。その後も何年か続けて夏の終わりに出かけました。一人乗りのカヤックにテントから衣服、食料全てを前と後ろにバランスを考えて積み込んで、約60キロを4,5日かけてゆるゆる下り最後は海まで出るのですが、そのごく薄い板一枚隔てて水の上に座るという感覚がとても新鮮で感動的だったことを覚えています。激しい瀬では舵が取られないよう細かく操作し、流れのゆるいところではパドルを後ろに寝かせて背もたれに。足を投げ出し釣りなどしつつ、その日の気分で河原を選んでテントを張ってご飯を炊いて・・・。川は朝と昼と夜とでは全然違う音を出していて、そのどれもがそれぞれに一人漂う私に話し掛けてくるように聞こえて心強かったものでした。ただじっと目を閉じて「流れ」をはっきり感じ取る時同時に自分の「速さ」を知っては考え直したりするんでした。
きっとあの頃私は川に静かに助けてもらったのでした。どんな一年が過ぎようと川は変わらぬ流れをたたえて在り、齷齪しては泣いたり喚いたりしていた自分を恥じてはまた繰り返すと知りながらせめてひと時流れに任せる心地良さ。
そのうち忙しいなどど理由をつけては川下りは見送りに、もうカヌーでもないだろうナンテ半分諦めてしまってはいるけれど、今ふいに顔を上げた先に横たわる川もまた煩悩に塗れた私には頼もしく、そうだまた行ってみようか等と思い立ちはするものの実現するのはいつの日か・・・。ともかく今日もふと見やると秋の日差しを素直に受けてきらきらまぶしい川面が広がり、ありがとうと小さくほほえむ車中のひと時でありました。2003,11/5
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